ピアノのレッスンというと、基本的には”まずは自分で読譜し、音に起こし、レッスンを重ねる過程を通して徐々に美しい音色やその曲の持つ世界観に近づけていく〟という流れになるかと思います。
小さい頃からそれは当たり前だと感じていましたし、指導者になってからもそれは疑う余地のない揺るぎないい概念だと感じていました。
ですが、いつの頃からかレッスンを重ねる過程を通して美しい音色やその曲の持つ世界観に近づけていくという点について少しばかり疑問を持つようになりました。
その音はその子の音なのかな?
その音はその子が解釈した世界観なのかな?
ある時からそのお子さん自身が持つ音色を大事にしたいなと思いました。
その疑問点を掲げているか否かで何もかも随分と変わってくることに気づかされます。
良く言われる童謡の『ちゅうりっぷ」や『きらきらぼし』などは私が弾くより5歳児さんが弾いた方が何倍も心に沁みます。
少なくとも、レッスンで全て私の考える音、上手に聴こえるであろう音に隅々まで変えてしまわないように…こちらは頭の片隅にいつも置くようにしています。
たとえコンクールであっても、どこかにその子らしい音を残しておきたいものです。書き込みは多くする方ですが、同じ曲を弾いた時、みんな音が違うのでレッスンしていても面白いなと感じます。
つまりはその曲を弾いているのはお母さんでもない、先生でもない、君だからさ🎶ということです💞
先日のレッスンでも「〇〇君の最後の音、先生はとても温かい気持ちになったな。自分で考えたの?それとも無意識?」と尋ねると、気恥ずかしそうに、それでもとても嬉しそうに目が輝きます。(言われて直した音ではないからこそ嬉しいですよね。)
自らそう弾きたいと思って出した音
自分の理想とする音に近づけなかったとしても、そこに近づけたくて何度も鳴らしてみる時間
同じく一曲が弾けるようになったとして、その過程がどうであったかは意外と重要だったりします。(わからない音もすぐに教えてしまうより、辿り方を知っているお子さんは面倒でもまずは考えてもらうと力がつきます。)
急いで大輪の花を咲かせることだけにやっきになってしまいがちですが、ぐらつかない根を、長く長く伸ばすことに力を注いでいけば後は勝手にその人らしい花を咲かせてくれるのでしょう😊
無理やり咲かせた花は倒れやすい…💦
子どもたちはいつか歩き出しますから、咲かせてくれた人が毎年咲かせ続けてくれることは不可能とも言えます。(だから私は野草や多年草が好きなのか!?😊)
さて、教室の6年生✨✨卒業式のピアノ伴奏オーディションに挑戦する人が多いみたいです🎶うまくいっても、本意じゃない結果でも、きっと貴重な経験ができますよ💞
伴奏曲の質問はどしどしお待ちしています🎶