朝テレビを眺めていて主人が「今日は七夕か」と…。
七夕には何ともロマンを感じてしまいます。
実家がお天気に恵まれれば綺麗に天の川が見える場所にありました。
そんなこともあり夜に眺めているとだいぶ想像力の助けになってくれました。
子どもたちが小さい頃、七夕の日には一緒に願いごとを書いたものですが、主人が子どもたちに望むことで心に残っている言葉もあります。
何かにつけて節目にぼんやりと思い出すのですが
それは
「生きててくれたらいいね」
と言っていたこと。
補足するなら
何もできなくても生きてたらいいよ
ということなんだと思います。
ちょっと意外でしたが、それを聞いてから事あるごとに原点回帰へと促す言葉になりました。
塾は勉強をがんばりたいお子さん方をお預かりする場所
ピアノ教室はピアノが上達するようにお子さんたちをサポートしていく場所
どちらも知識や技術を身につけて成長を応援する場所です。
ある意味、何にもできなくったって生きてるだけで君たちは最高だよ👍っていう価値観とは逆行した場所です。
でも「生きてたらいい」を頭の片隅に置いていると
やろうとしているけど出来ない時とか
頑張ったけど結果に結びつかない時とか
勉強はやった方がいいのは知っているけど、みんながんばれと言うほど自分でがんばりたいとは思えないとか
生徒さんがそんな時期にあっても幾分大きな気持ちで信じて眺められる気がしています。
それでもやはり、ご本人も保護者の方もピアノが上手くなりたい、ピアノという技術をしっかり身につけて欲しいと願って通わせてくださっているわけですから、やはり一人ひとりがそこに近づけるために日々奮闘です。
心でレッスンするということは覚悟を決めるということ。
言いにくいことでも
気にしそうなことでも
時にどうしても必要があれば言葉を選びながらあえて伝えます^ – ^
停滞時に舵を切れる確率が少しでもある時は真っ直ぐに🌈
『育み』には色々なとらえ方があるかと思いますが
教室では
「君はそのまんまで十分だよ」っていうのが土台にあって、その上に「(もしよかったら)(君が望むなら)挑戦してみて♪」って信じてみること、そしてどうするかの最終決定はいつだって生徒さん自身であること
そう考えています。
土台に「生きていたらいい」があると
自分が子育てで何かに迷った時に「あっ、ちっちゃいな💦」と思えるから不思議です。
変わっても、変わらなくてもその人そのものの価値に変わりはない
でも挑戦したいと思うこと、経験値を広げることもとても素晴らしいことだから。
挑戦したいって思う人を全力で応援します✨