「遊びや楽しみ」と「学び」の関係に思うこと

ピアノレッスンをしていて時々感じること。

 

それは「音楽(ピアノ)って楽しそう!」って思ってピアノをはじめた子どもたちが、学びの途中で小さなつまずきに遭遇した時に「あれ?なんか思ってたより頑張りが必要?」って感じるギャップについて。

 

 

以下、カワイ音楽研究会の9月号「ensemble」作曲家の吉松隆さん執筆の『遊びとルール」から一部引用させていただきます。

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音楽は、自由に、心が感じるまま紡がれ歌われるもの…ではあるのだが、その自由さを獲得するには知識と鍛錬(勉強)が必要だ。

小さい頃から色々なことを「勉強する」というのは、大人になってから「自由に」様々な「楽しみ」を満喫するためにこそある。そう思って間違いない。

ちょっと面倒でも「言葉」や「形式」や「ルール」を知っておけば、あとは小説でも歴史でも地理でも交響曲でも数学でも原子物理でも建築でも構造力楽でも宇宙旅行でもスポーツでも麻雀でも落語でも、全てがたのしい「遊びの世界」と化す。

知ると知らないとでは、世界の広さが何倍も違うのだ。

人は学ぶことで

世界を知る。

そして世界は

遊びで満ちている。

 

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よく生徒さんたちに

「この新しい曲ね、すぐは楽しくはならないかもしれない。でも4日目くらいで少し楽しくなってくるよ」なんて話すのですが。

 

これはあくまで短いスパン。

 

これをさらに日常の習い事として繰り返し、ある時期までに長い学びとなったとしたら

 

その分野を学んだことで、

 

本当の意味で受け入れ、賞賛し、心を動かせる『楽しみ(遊び)』にまで昇華させることができるということ。

 

子どもの時の習い事で、もちろんそこまで考えていることなんてそうないんだけど😆

 

 

 

アートクラブに通っている子たちなら、きっとクラスで美術展鑑賞の時間はより違い角度と深さで観る(感じる)のだろう。

そうすることが楽しいから。そうしたいから。勝手に心が動くから^^。

 

ピアノを長く習い事にしている人なら、好きなバンドのライブに行ったら、ボーカルの音だけでなくキーボードのテクニックや他の楽器にまで耳を奪われたり。(別の楽しみ方をしているんですよね)

 

 

一度でも経験してみたこと、淡々と歯磨きみたいに学び続けたこと。

そういうのが、未来の何気ない場面で繋がってみたり、人の役にたったり、その人自身を楽しませ輝かせたりする。

 

 

知ってるって強い✨

学んだことは卒業しても、その人自身の魅力となって生き続けるのでしょう。

 

 

中高生の生徒さんたちには、何か機会があればシェアできたらいいな。

 

 

学歴も一つの目安ではあるけれど

 

多数派の標準だけにとらわれることなく

自分が見て聞いて感じてきたことの価値(学び)をしっかり抱きしめて

風を切って歩いていけるよう寄り添えたらと思います。

↑いつもほっとする風景(笑)

 

 

昨日からピアノの上はハロウィン仕様です🎃

 

 

 

2024年9月25日 | カテゴリー : ピアノのこと | 投稿者 : 織田ピアノ教室